
はじめまして!
当サイト管理人の「ヨウ」と申します。
少し自己紹介させてください。
ヨウについて
簡単な自己紹介となります。
- 年齢
- 36歳
- 趣味
- ・インドア要素
漫画・映画・アニメ・ゲーム
・アウトドア要素
旅行・食べ歩き・ワイン - 性格
- 学生時代から根がまじめなので、多くの人にまじめと言われています。
まじめだけだとつまらないので、面白くあろうとしている日々です。



キャリアについては、学歴と職歴に分けてご紹介していきます。
学歴


地元の男子校を卒業。
その後は地元の公立短大を卒業して就職しました。
職歴


やりたい仕事がまったくなく、20歳~28歳の8年間で7回転職しました。
【21歳~22歳】新聞社の時代



短大時代は「とにかく給料が高い会社に就職したい!」という想いがありました。
当時通っていた短大は工業系の専門学校だったので、周りの同級生全員が製造業へ就職しました。
そのなかで、私だけが求人のなかでもっとも給料が高い新聞社へ入社するという…
新聞社というと記者や編集といったイメージを持たれますが、私の通っていた短大への求人は新聞を印刷するための印刷業です。
入社するための難易度がかなり高く私は人生で一番勉強しました。
難易度としては、
- 一次試験は英語を含む5科目試験
- 二次試験は試験開始にテーマが決められる作文
- 三次試験は役員面接
- 四次試験は社長面接
といった感じでした。
とくに、二次試験の試験開始と同時にテーマが分かる作文は大変でした。
事前にかなり文章の練習をしないと試験時間内に完成できないからです。
これでようやく晴れて働けるとなりルンルン気分で入社しました。
しかし!
理想と現実はまったく違うというのを目の当たりにしました。
- 給料
- 短大卒で手取り22万円でボーナスな夏冬の合計で7か月分
- 勤務体系
- 3交代勤務
- 仕事内容
- やることがたくさんあるので、かなり忙しい
- 人間関係
- とにかく最悪!昭和的な働き方であるので暴言が飛び交うし蹴りも飛んできます。完全な年功序列のカースト制度みたいなもので新入りは奴隷みたいになります。
- 職場の飲み会
- 夏はソーメンの汁が日本酒にされます。
周りの同級生よりもかなり高い年収となりましたが、高収入と引き換えにメンタルがボロボロになりました。
1年だけ勤務しましたが、ストレスで1年で体重は15kgも減少…
うつ病にはなりませんでしたが、それでも毎日が苦痛でした…
給料が高いというだけで勤めましたが、この会社はブラック企業ですね。



15年前の話なので、もしかしたら当時よりも今は環境が良くなっているかも?
以下は新聞社で良かったことと、ダメだったとことです。
まずは良かったことから。
- 給料が高い
- ボーナスが夏冬で多い
次に嫌だったことです。
- 人間関係が最悪
- 先輩は神と崇める制度
【22歳~24歳】製造業時代①
2社目は自宅から近い製造業へ転職しました。
この会社を選んだ理由は単純に家から近いという理由だけです。



新聞社が家から片道40分はかかったので移動時間が嫌だったんです。
信濃毎日新聞の年収が高すぎだったので、本来の短大卒ならではの年収になりました。
見事?に年収100万円も下がりました!(泣)
- 新聞社 年収400万円
- 製造業 年収300万円
ちなみにですが、このとき入社した製造業は金型の組み立て会社です。
当初は組み立て部門に配属されたのですが、どうにも好きになれず金型で作った製品を測定する検査部門へ異動させていただきました。
昔から細かいものを観察するのは苦ではなかった(小学校の夏休みの自由研究は微生物の観察だったり)ので、検査部門はそれなりに良かったです。



この2年間のみサラリーマン時代で充実していました。
以下はこの会社の良かったことと嫌だったことです。
まずは良かったことから。
- 職場がアットホーム
- 仕事内容が嫌いではなかった
次に嫌だったことです。
- 管理職は仕事できない人が9割以上
- ボーナスなしは当たり前
- 社長がすぐに変わるので将来性がない
- 昇給額が低い
- 基本給が低いので残業代で稼ぐしかない
【24歳~25歳】日本電産時代
24歳のときにリーマンショックが発生。
製造業は大打撃を受けて「派遣切り」という言葉が流行ったように、私の勤務先も派遣社員を全員クビにしました。
仕事がないので希望退職を募り、この先どうなるかと誰もが不安になりました。
そんなとき、上司から以下の会話がありました。



仕事がないからしばらく親会社の日本電産に出向に行ってくれない?



え!?
急ですね…



ちなみにどれくらいの期間行くのですか?



確約はできないけど、とりあえず1年かな。



分かりました…
こんな感じで、仕事がまったくないことから若手を仕事のある関連会社に一時的に出向させました。
日本電産と言えば東証一部上場企業でもあり、しかも日本で数少ないNY証券取引所にも上場しています。
日本電産は長野県だと駒ケ根市にあります。
仕事自体はどれも新しいものが多くやりがいがあったのですが、2点不満がありました。
それは、
- 給料がもともと勤めていた会社からでるので少ない
- 360度が山で娯楽がまったくない
しかも日本電産でどれだけ仕事を頑張っても1円も評価されません…
駒ケ根市内は何もないので毎週名古屋まで遊びに行ってました。



少ない給料で名古屋に遊びに行くのですから、そりゃお金貯まりませんよね。
新聞社時代は世の中お金だけじゃないと思っていましたが、いざ給料が少ないとお金が大事と思う自分がいます。
ほんと世の中うまくいきませんね…
【25歳~26歳】倒産寸前の製造業時代
日本電産に出向してから1年経過したのでもともと勤務していた製造業に戻ることになりました。
戻って驚いたのが従業員が半数まで減っていたのです。



職場の人間関係も良く、仕事内容も好きでしたがボーナスなしが当たり前だったので転職を決意しました。
ちなみにですが、この会社は10年経過した2022年の段階で一応存続はしています。
いつ倒産するか分からないくらい駐車場がスカスカですが…
【26歳~27歳】ストレスで血便になった製造業時代
倒産寸前でこのままじゃやばい!と思ったので次の転職先を探すことになります。
当時(2016年)だと田舎は転職エージェントやリクナビなどが今ほど使えなかったのでハローワークからの転職活動となります。
探した結果、品質管理という部署が募集している製造業があったので、新しい部署でチャレンジしようと思い入社することに。
品質管理という部署ですが、メイン業務はクレーム対応です。
本来クレーム対応は再発防止をするため品質管理が現場の人と意見交換をします。
しかし現場は忙しいから話を聞きません。
むしろ逆切れして怒ってくる人すらいます。
こんな感じのクレーム対応するだけの部署でしたが、もと三菱の品質管理部長をしていたS部長が転職してきて大きく改善されることになれます。
S部長から学んで活かせることがあったのですが、それ以上にストレスで血便になるほど精神的につらかったです。
具体的な以下のような会話例があります。



今日の17時までにこういう構成で資料作っておいて



資料作成しました。
ご確認お願い致します。



1日かけてこのできなの!?
キミの頭大丈夫!?
バカなの!?
仕事ができない自分にも非がありますが、人生で初めて血便をしたので身体は悲鳴をあげていましたね。
当時は毎朝出勤するたびに会社へ近づくたびに嫌な気分になっていました。
嫌なことばかりがありましたが、良かったことほんの少しあります。
良かったことと、嫌だったことは以下のとおりです。
まずは良かったことから。
- S部長のおかげで論理的思考力を学ばせていただいた
- 簡単な図解化する能力が身に付いた
次に嫌だったことです。
- 品質管理課は離職率が社内No1
- 現場がクレーム出すのに責任逃れをする
- 現場は変わった人がほとんど
- まともな人が少ない会社
- ボーナスはほとんど出ない
【27歳~28歳】印刷会社の営業時代
今までずっと現場での仕事ばかりをしていたので営業職へ転職しました。
営業と言っても、新規開拓ではなくてルート営業がメインの印刷会社への転職です。
入社して思ったのは仕事自体は「思っていたのと違く嫌なことだらけ」でした。
なにが嫌だったかと言いますと、
- 電車通勤が苦痛
- 人間関係がストレス
- ルート営業が苦手
ドラマやアニメで妄想しすぎですね。
現実の地方営業はこんなもんかって感じでイメージと程遠くつまらなかったです。
【28歳~半年間】電話営業時代
日経MJという新聞に広告を掲載しませんか?というテレアポの会社へ転職しました。
これは面接時の条件と、実際の仕事内容があまりにも違いすぎたので入社初日から退職したいと思いました。
以下は面接での会話内容です。



毎日100件電話すれば最低1件以上の契約になる。
そうすると、月収50万くらいになるよ。



そんなに稼げるんですね!
頑張ります!
入社後…



会社のマニュアルとおりに毎日100件電話しても1件も契約取れない



契約取れなかったら土曜日出勤もあるからね。



あと残業代はないから明日の電話先100件出してから退社してね。



え!?
そんなの聞いてない…
そもそも、日経MJというニッチな新聞に白黒で掲載して1回数万円なので、掲載するメリットを感じないにも関わらず売上のために自分に嘘をつきながら営業をしました。
この会社の離職率は半端なく、新入社員の1年以内の離職率は100%です!
2022年にこの会社の近くを通りましたが存在してなく、さすがに倒産したかな?と思いホームページを調べたところ住所が社長の自宅になってますね。
【29歳~現在】現職の保険営業代理店
テレアポの仕事をしながら空いた時間に自分の将来について真剣に考えて今までのことを整理していました。



そもそも自分は仕事にするなら何が得意で何が苦手なんだろう?
とりあえず思ったことを紙に書き出してみたところ、以下の得意・苦手に分かれました。
長所は以下のとおりです。
- 同世代とのコミュニケーションが得意
- 第一印象が良いとよく言われる
- 根がまじめな性格
次に仕事をするにあたり嫌いなことです。
- 老害化した高齢者とは関わりたくない
- 単純作業は苦痛なのでやりたくない
- 自分が良いと思わないと人に案内できない
- 電話営業はやりたくない
- 飛び込み営業は絶対にやりたくない
- かなりメンタルが弱い
自分の得意なことと苦手なことを書き出してみると、得意よりも苦手なことが多いことが分かりました。
では自分の得意なことでできる仕事とは?となると、「もしやホストかな?」とも一瞬思いましたがビジュアル系な顔面偏差値でもないのでやりたくないです…
そうすると「同世代とコミュニケーションが得意」で「第一印象が良く」て「まじめな性格が役立つ」となると、同世代へ向けた営業職はどうだろう?と考えます。
自分でもできる営業職を考えたのですが、時間拘束もなく自分の裁量で仕事ができる保険営業だ!という結論に至りました。
以下は入社して8年目になる保険営業代理店の名刺です。


今までのサラリーマン人生は何だったのか?くらい充実した毎日を過ごしています。
とくにサラリーマン時代は時間とお金でかなり苦労しましたが、今では両方を得ることができました!
実際に入社3年目から現在まで毎月コンスタントに月収100万円以上をキープできているくらいの稼ぎになっています。


まさに人生変わりました。
営業職なので人間関係でために大変なこともありますが…
当ブログで発信していること
私は保険営業をして2023年で8年目となります。
一般的な保険営業よりも、そこそこ稼げているので当ブログでは保険営業の「光と闇」についてすべて書いていきます。
とくに、
- これから保険営業を目指す人
- 生保レディに誘われている人
- 保険営業がつらいと感じている人
- どうせなら保険営業で月収100万円を稼ぎたい人
には役立つはずです。
保険営業についてブログで発信しようと思った理由としては、現役の保険営業で稼いでいる人が発信していないためです。
人から聞いた話や、ネットから拾ってきた記事ではなくてすべて自分の実体験をもとに発信していきます。
少しでもお役に立てれば幸いです。